落合淳思先生の第二の手紙の主文

 

 ご返信の件について、私見を述べさせていただきます。前回の書簡についてA〜Iに分けていただいたので、その分類に従います。

 

 Aについて、少なくとも、紀元前三世紀の丸木舟が遠洋の高波に耐えられることの証明は必要でしょう。また、漂流物は風や波の影響で非常に広く拡散します。漂流者集団が近い場所に漂着するのは難しいのではないでしょうか。

 

 B・Cについて、中国あるいは韓国からの渡航者が倭国を建設したことの論拠があるとのことですので、次回作を待ちたいと思います。

 

 Dについて、もし「大規模な渡来」だけを論じるのであれば、種籾や水田耕作技術などを論じる必要はなかったのではないかと思います。

 

 Fについて、召は、甲骨文字の初期には殷に服属し、中期に敵対して「召方」と呼ばれ、末期に再び服従し、最終的には殷を見限って周に服属し、その時代の召の首長が周の武王に仕えた召公奭(西周金文では「召公」または「朿」)です。甲骨文字では、殷に敵対していない時期には「召」と呼ばれ、敵対している時期のみ「召方」と呼称されています。

 

 Iについて、秦王朝の残虐性は作り話ですが、同時代にも、すでにそうした噂があったとしたら、移住の動機にはなり得ると思います。ただし、秦〜前漢初期については、出土した竹簡以外には同時代資料がなく、竹簡には民間の噂などは記されないので、証明は困難です。なお、睡虎地秦簡の労役法については、邦訳がないので、同封の中国語版をご参照ください。

 

 それから、ホームページへの掲載の件ですが、日本史は私の専門とするところではないので、A〜Eは概要のみにとどめ、原文掲載はF〜Iとしてください。

 

 以上です。

 

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